【カンゲキ記録】


「もうがまんできない」@本多劇場
20230414_173142~2



無意識のうちに大人計画好きになってしまっていた。あな恐ろし。

コロナで見ることが叶わなかったのが、満を持して今回。
歌舞伎座とかはマスクは任意になったのに、本多劇場は、必須だった。
まあ、仕方あるまい。

相変わらず、「同年代」のツボをグイグイと押してくるコネタの数々。
いつも思うのだけど、ホント、若い子とかわかんないんじゃないか?
今回も思わず、マスク越しに声を上げて何度も笑ってしまった。
身構えずに観ることができる安心感、気楽さ。
面白いってことが間違いなく保証されている、安定感。
裏切られないことも分かっている信頼感。
ありがたいし、平和だなあと思う。

ただ。
無邪気に笑うこと・人を笑わせることのハードルが、
思えば随分と上がってしまった、窮屈になってしまったなあと
劇中のいろいろで、うっかり笑いながらも、感じざるを得なかった。

人の見た目や職業をネタに笑わせること・笑っちゃうこと。
コンプライアンス、ルッキズム・・・
笑うことに躊躇しちゃうってどうなんだろうか・・・
とても不健康な気がする。
もちろん、誰かを傷つけることは避けなくてはいけないんだけども。

本筋からズレたときのギャップや驚き、で笑いが生まれる。
暗黙の了解やタブーとされることから思いがけずズレたときや、常識外れなこと、で笑いが生まれる。
その笑いで、場が和んだり、急に親密さを増すことになったりするのだけど、
昨今のもろもろは、なんだかなーと思ってしまうね。
まして、顔の半分を覆う生活が当たり前になってしまったこの3年の時間の積み重ね。
見えなきゃいいのか?半匿名性?ますます不健康。
顔の筋肉が衰えて、笑う表情すら、以前より嘘くさくなったりもしている。

いろいろな「ズレ」に対して、全くもって、やさしくない世界になってしまったものだ。
ズレを許容できるかって、とても大事なことになってしまったものだ。

でもさ。

クドカンがどうしてこのタイトルにしたのか、いまいちわかりかねていたのだけど、
そういうことの繰り返し・積み重ねの今、
「もうがまんできない」
そんな限界がきちゃうような気がする。
そういうこと?

仲野太賀くんが、すごくよかった。
相方が永山絢斗くんっていうキャスティングも妙技。
猿時くんのわがままボディは、初日であれだから、きっとこの先、いつかポロリを起こすよな、1回くらい(笑)
サダヲさんの身体能力の高さと、カメレオンぶりは安定感がありすぎてコワイ。

面白かった!
笑ったのとおんなじくらい、後からちょっと考えちゃった。

ありがとうございました♡